

6月26日
1786年6月26日30歳になったモーツアルトは、故郷ザルツブルク宮廷音楽家でホルン奏者のイグナーツ・ロイトゲープの為に、変ホ長調の協奏曲(第4番)を書いています。4曲残されたホルン協奏曲の第4番ですから、当然最後に書かれたと思われていましたが、この4曲は2,4,3,1番の順で書かれた事が分かっています。現存するホルン協奏曲は4曲だけですが、断片が残されているホルン作品は他に3曲ありまして、これらはロイトゲープ以外の誰かの為に書かれたようです。ロイトゲープのだけが残っている、というのが面白いなあ。保管能力に長けていたんですかね。
ロイトゲープの名はモーツアルトの手紙に度々登場します。モーツアルトより24歳も年上でしたが、モーツアルトは実に屈託なく同世代の友人のように接しています。2番の協奏曲には「モーツアルトはロバ、牡牛、馬鹿のライトゲープを哀れむ」なんて献辞(かな、ホントに)が書かれていて、何故か全て「ロ」イトゲープではなく「ラ」イトゲープと書いています。
ところでこの4番の協奏曲の自筆譜は、青、赤、緑、黒の4色のインクで書かれています。当然ながらロイトゲープをからかってだと思われていましたが、新全集の校訂者はより音楽的な目的(強弱や表情等)の為にそういう手段で書いたのでは・・・と述べています。まっさかあ!私断言します。面白がってそう書いたに決まっていますよ。大体そんな面倒くさい事を作曲中やるとは考えられませ(他にそんな作品はありませんからね)。僕らのヴォルフィはそんな愉快な奴です。わざわざ4色のインクを揃えて、これを見たロイトゲープの驚く顔を想像しながら、ニヤニヤして書いているモーツアルトの姿は容易に目に浮かびます。その心根に孤独なまでの優しさも感じられて、私はそんなモーツアルトがたまらなく好きです。
ところでロイトゲープは全欧に名を知られた名手だったそうですから、沢山の若者がザルツブルクに押し掛けたでしょうね。ザルツブルクはもしかすると、当時最も盛んなホルンの街だったのかも知れません。でも当時の不備な楽器で、あの音楽をどう演奏したのだろう。出ない音があったような楽器でしたからね。聴いてみたいものです。早くタイムマシンできないかな。
 
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