Morzart Symphony Orchestra
モーツァルト・シンフォニー・オーケストラ

マエストロ・ペンの  
   ある日のモーツァルト (1)

            7月16日

 1782年7月16日ウィーンのブルク劇場で、モーツアルトの生涯に渡るヒット作の一つである歌劇「後宮からの誘拐」が初演されています。公演は大成功に終わり、モーツアルトは作曲料として100ドゥカーテンを得た、と記録されています。
 モーツアルトの伝記を紐解くとよく目にするこのドゥカーテンという通貨単位、もちろん現在では流通していませんから今ひとつピンときません。他にもフローリン、グルデン、クロイツァーと言った通貨単位が手紙にも溢れています。調べてみますと、ドゥカーテンは元々イタリア、ヴェネツィアで鋳造された金貨で、教皇の収税官によりドイツにもたらされたのだとか。1ドゥカーテンは4.5フローリン、1フローリンは60クロイツァー。グルデンとフローリンはほぼ等価だとか。モーツアルトの父レオポルトがザルツブルクの宮廷副楽長として得ていた年俸は450フローリン、あのサリエリは2050フローリン。ちなみに大学教授職で300フローリン。裁判所書記官で500〜600フローリン。なんでも800フローリンあればかなり優雅な生活を送れたそうです。モーツアルトが死後どれぐらいの借金を残したかは諸説ありますが、妻コンスタンツェは3000グルデンあれば借金を返せる、と述べています。実際はもっと多額だったでしょう。グルデンとフローリンが等価だとすれば、モーツアルトは父の年俸の実に10年分に近い借金をしていた事になりますよ。モーツアルト自身はウィーン宮廷室内作曲家の拝命により年俸800フローリンを得ていますから、彼の生活が貧乏である筈がありません。やはり夫婦揃って散財を気にも留めない暮らしをしていたのでしょう。コンスタンツェの浪費癖は良く指摘されますが、体調の優れない妻は幾度も湯治に出していますから、金もかかった事でしょう。モーツアルトもお気の毒に。

 その妻と出会い、2ヶ月後父の許しも待たず結婚に踏み切るそんな頃、この「後宮」は書かれています。奇しくも物語のヒロインの名はコンスタンツェ。嬉々として作曲するモーツアルトの姿が目に浮かびます。愛する人の名を物語に見いだした時、モーツアルトは天の配剤と喜んだに違いありません。このノリの軽さが借金生活へと追いやるのも、ある意味天の配剤でしょうかね。

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