

8月21日
1772年8月21日、今まで無給だったモーツアルトに対し、年俸150フローリンが支払われる事になりました。モーツアルトはこの時まだ16歳。あのコロレドがザルツブルクの大司教となった年ですから、この計らいは当然コロレドの指示によるものです。モーツアルトはこの後3度目となるイタリア旅行に出ますが、何の成果も手にしないまま翌年には帰郷します。
後に様々にモーツアルトと敵対し、まるで宿敵のように目されるコロレドですが、敵意むき出しなのはむしろモーツアルトの方。ちやほやされて育ったヴォルフガングにとっては、もしかすると初めて直面する社会の厳しさ、と言えるのかもしれませんよ。無礼で傲慢なモーツアルトに対し、コロレドは幾度も厚意ある処遇を指示しているのは良く知られています。ああ、ヴォルフガング、君はなんて身の程知らずなんだ!
いくら天才とは言え、そんな子に育てたレオポルトの責任は大きいですよ。度重なる旅行による就活が成功しない理由も、案外父の不評が貴族間に蔓延っていたんじゃないか、と私は感じます。故郷(くに)の仕事ほったらかしで何年も息子の売り込みに出かけるんですからね。コロレドの前任者シュラッテンバッハはよく鷹揚に認めていたものです。それに待ったをかけ始めるコロレドの方が普通なんですってば。
ところでこれから5年後の8月には、モーツアルトは辞職願いを突きつけてパリ・マンハイム旅行へと旅立ち、さらに1年後の8月には父の取りなしで復職が叶えられ、母はパリにおいて7月に死去し、10年後の8月には父の反対を押し切ってコンスタンツェと結婚します。夏はモーツアルトの人生の大きな事件が起こる季節か?もちろん考え過ぎです。父が死んだのは5月だし、本人は12月に亡くなってますからね。夏に起こった事件だけを並べただけですが、夏の青空を見ていると、不思議と私は旅の空の下にいるヴォルフガングを思い浮かべます。あ、四季折々モーツアルトの音楽はどの季節にもピッタリきますけどね。夏が似合わないチャイコフスキーとはえらい違いです。
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