Morzart Symphony Orchestra
モーツァルト・シンフォニー・オーケストラ

マエストロ・ペンの  
  ある日のモーツァルト (1)

            10月17日

 1771年10月17日モーツアルトはミラノにおいて、フェルディナント大公の婚礼(10月15日)を祝して書かれた「アルバのアスカーニョ」を初演し圧倒的な成功を収めます。父レオポルトは故郷の妻に「ヴォルフガングのセレナータ(当時は祝祭劇等の短いオペラをこう呼んでいます)はハッセのオペラを全く圧倒してしまいました。私はそれを筆に表す事ができません。」と大変興奮した様子で書き送っています。ハッセはモーツアルトより50歳以上年上の当時イタリアを代表する作曲家の一人で、巨匠と呼ぶべきお方。この時ハッセが書いたオペラは「ルッジェロ」(「アスカーニョ」の前日10月16日に初演されています)で、レオポルトとヴォルフガングは10月26日に連れ立ってこのオペラの再演を見に出かけています。
 モーツアルトの生涯を見て行くと、彼は大変マメに先達の作品を学び、同時代の新しい作品に触れている事が分かります。温故知新。古い作品を学んで初めて新しい何かが生まれて来るものです。昨今の作曲専攻の学生はベートーヴェンの交響曲すら知らない、と友人の作曲家は嘆いていました。そうでしょうね。でも考えたら、モーツアルトの頃はバロックの巨匠達やバッハ、ヘンデルくらいしかいないのに、私達はそれに加えてモーツアルトやベートーヴェンからまだ大活躍のブーレーズまでいるんですからね。勉強すると言っても量が違いすぎます。まあ少しは大目に見てやらねばなりませんが、せめてベートーヴェンの交響曲くらいは知っていて欲しい物ですな。ふむふむ。
 レオポルトはこの勢いをかってフェルディナントに息子の就職を願い出ますが、この年の暮れまで待たされた挙げ句、拒否の返事が届きます。大公はウィーンの母マリア・テレジアに雇用についての相談をしたのですが、母からはモーツアルト父子に対する辛辣な批判と共に雇わないよう返事が来たのでした。

 ところでこの婚礼はミラノを上げてのお祝いでしたから、あちこちで大どんちゃん騒ぎが繰り広げられたようですが、父子が参加した24日のお祭り(沢山の食べ物やワインが残った程のお祭り、と書かれていますが・・・分かりにくい)では、バルコニーが倒壊して50人程が重傷を負ったらしいですよ。好事魔多し、と言います。皆さんも楽しい一時には大いに気をつけましょう。

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