

9月11日
1778年9月11日、モーツアルトは故郷の父に、パリのグリム男爵についての報告の手紙を書いている。モーツアルトは22歳、母親とパリ・マンハイムの長い旅行に出たが、母親は2ヶ月前に他界し今はヴォルフガング一人だ。
グリム男爵とはパリの有力者で、7歳からの「西方の大旅行」の際懇意にしてもらった人物だ。当然今回もパリを訪れていち早く男爵を尋ねている。しかし神童だった頃と異なり彼の態度は冷たい。おまけにモーツアルトは彼から15ルイドールという金を借金しており、厳しく催促された為父に男爵を悪し様に書き連ねている。どう見てもモーツアルトが悪いんですがね。
男爵は既に7月にザルツブルクの父レオポルトに次のように手紙を書いている。「御子息はパリでの成功は望めますまい。・・・彼はあまりに無邪気で、積極性に欠け、余りに騙され易く、お金を貯める事に無関心なのでお金持ちにはとうていなりますまい。」ドキッ!自分の事を言われたみたいだ!
逆に言えば、狡猾で、積極的に人に取り入り、人を平気で騙し、お金に執着しなければ金持ちにはなれない、という事か。う〜む、言えてるかも。しかし男爵が書き連ねたヴォルフガングの性格は実に的を得ているように思います。プライドの高い徹底的なお人好し。モーツアルトはそんな人間でした。恐らくは彼自身は死ぬまでその事に気付かなかったでしょうね。しかしだからこそあれ程人の心の奥底にしみ込む音楽を書けたのでしょう。レオポルトは一度失職した息子がザルツブルクで復職できるように奔走し、それは叶えられていたので(コロレドはいい奴だなあ)、息子にすぐさまパリを発ち帰郷するように促します。それに対しヴォルフガングは、まだ手にしていない報酬の残りがある事、印刷中のソナタの校正をしなければならない事など理由を書き連ね、ようやく重い腰を上げたのは26日になってからでした。つまり帰りたくなかった訳です。父にスポイルされている(と本人は感じている)だけの故郷の生活はうんざりだったんでしょうね。
金持ちで宮廷楽長になったモーツアルト。もしそうなっていたら彼は一体どんな音楽を書いたんだろう。サリエリと同様歴史の渦に埋もれただろうか。それともモーツアルトはやはりモーツアルトだったのか。謎だなあ。
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