

8月28日
1791年(晩年ですよ)8月28日、弟子のフランツ・クサーヴァーを伴ったモーツアルト夫妻は、皇帝レオポルト二世のボヘミア国王就任の戴冠式に出席するためにプラハに到着しました。国王はサリエリ等宮廷音楽家達を引き連れて翌日到着しています。モーツアルトはつまり自腹で行ってる訳ですね。翌月6日には皇帝および皇后の列席のもと、プラハの国立劇場で新作「皇帝ティトの慈悲」の初演を指揮しますが、評判はいまいちで、皇后は「ドイツ風な失敗作」と評しています。散々ですね。
ちなみに、いつもの事ながら、この「ティト」は初演の前日に完成されています。信じられませんよ、まったく。いい舞台は望みようもありません。もっとも現在でもほとんど上演される事のない作品ですから、やはり出来が悪かったのでしょう。いわゆるオペラ・セリア(正歌劇)と呼ばれる真面目な内容のもので、この頃でもう既に時代遅れなジャンルでした。オペラはこの頃既に貴族から庶民の娯楽へと変化しつつあります。このすぐ後に書かれた「魔笛」が歴史的ヒット作なのを見てもよく分かりますね。彼のヒット作は一つ残らずおふざけオペラですよ。モーツアルトの才能が十二分に発揮されるには、彼自身がどれ程作品(台本)に共感しているかが重要なようです。モーツアルトには3、4作の未完のオペラがありますが、彼の天才を持ってしても詰まらない物語では行き詰まってしまうようです。「気が乗らねえなあ」てなもんでしょう。彼に未完があるという所に、根気の続かない私も大いに共感しますよ。へへへ。
ところでプラハに旅立つ前月には、例の「灰色のマントの男」がレクイエムの依頼をしにモーツアルトを訪れています。依頼人はフランツ・ヴァルゼック=シュトゥパッハ伯爵という人物で、なんとモーツアルトに書かせて、自作と銘打って亡くなった妻の追悼に演奏しようと企んだ事が分かっています。やれやれ、よりにもよってモーツアルトに頼むとはねえ。渋るモーツアルトの尻を叩いて引き受けさせたのは妻コンスタンツェだったようです。もちろん報酬が良かったからですが、結局未完に終わった訳で・・・世の奥様方、ご亭主の尻を叩いて仕事させても、いい仕事はできない、て事ですよ!
晩年のモーツアルトの日々は、興味が尽きません。もう死は目の前です。
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