Morzart Symphony Orchestra
モーツァルト・シンフォニー・オーケストラ

マエストロ・ペンの  
  ある日のモーツァルト (1)

            5月13日

 1776年5月13日。この日の午後、モーツアルト最初のオペラであるラテン語劇「アポロとヒヤチントス」K.38がザルツブルク大学講堂の傍にある舞台で上演されました。ヴィードゥルの「クロイソスの仁慈」というラテン語悲劇の幕間劇として書かれたもので、なんと上演したのはギムナジウムの3年生の文章論のクラスの生徒達だったとか。なんかピンと来ませんね。
 私このオペラやりましたよ。しかしベーレンライターの新全集にスコアがあるだけで、歌い手に必要なヴォーカル譜もオーケストラパート譜もありませんでしたから、私がそれ全部作りまして、おまけに日本語訳もしまして、指揮をしただけでなく演出までしまして、まさに大活躍の公演でした。へへへ。
 物語はギリシャ悲劇。ヒヤチントスは花のヒヤシンスの事です。悪しき友人ゼフィルスの奸計で死んだヒヤチントスを哀れんだアポロ神が、彼を美しい花に変えたというファンタジーな悲劇で、当然ながら厄介だったのは死んで花に変化するクライマックスでした。ギリシャ神殿風に設えた舞台の正面に祭壇を作りまして、そこにヒヤチントスの亡骸が横たえられ、上からピロードの布を掛けまして、その亡骸のふくらみがフワッと消え正面奥のスクリーンにヒヤシンスが映し出されるという風にしましたが、観ていたお客様からも、えっ?どうやって消したの?と言われましたから、我ながら成功だったかなあ、なんてニンマリしました。で、どうやったと思います?教えな〜い、ひひひ。種を明かすと馬鹿みたいに簡単な事ですからね。

 モーツアルトはこの時まだ11歳ですよ。翌年には最初に大当たりしたオペラ・ブッファ「ラ・フィンタ・センプリーチェ(見てくれの馬鹿娘)」と、牧歌劇「バスティアンとバスティエンヌ」を書いていますが、まさにこの「ヒヤチントス」が「魔笛」へと続くオペラの出発点なんですね。最初のクラヴィア曲が5歳、交響曲が8歳、そしてオペラが11歳。なんともこのガキ凄過ぎます。音楽はなかなかに大掛かりな、しっかりとした内容のものでした。特にレチタティーヴォは手慣れた感じで、冗長さなど全く無く、持って生まれたオペラの才能に舌を巻きますね。て、私は未だに巻き舌ができませんがね。

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