Morzart Symphony Orchestra
モーツァルト・シンフォニー・オーケストラ

マエストロ・ペンの  
  ある日のモーツァルト (1)

            1月27日

 1756年1月27日と言えば、そうです、ヴォルフガングがこの世に生を受けた日です。夜8時くらいだったと言います。父レオポルトと母アンナ・マリアが結婚して9年目に授かった第7子でした。兄弟6人の内の5人は早死にしていますから、ヴォルフガング自身の子供がそうであったような早逝の血筋にも見えますが、現在から見れば相当劣悪な当時の衛生環境や、医療技術の低さを考えれば普通の事だったと思われます。うまく死を免れたもう一人は姉マリア・アンナ(母と似ててややこしいな)通称ナンネルです。
 あまり知られていない両親のそのまた両親を紹介すると、レオポルトの父はアウグスブルクで製本業を営んでいた平民のヨハン・ゲオルクで、母アンナ・マリアの父はザンクト・ギルゲンでザルツブルク大司教の財産管理人をしていたヴォルフガング・ニコラウス・ベルトゥルです。おっと、意外に母方は良い血筋のように見えますね。父方は書物にもはっきり「平民」と書かれていますから、その子レオポルトが宮廷副楽長なまでなったのはかなりの出世だと言えます。ちなみにレオポルトはヴォルフガングの生まれたこの年に、ヨーロッパ中に広まるヴァイオリン教程本を出版しています。
 ヴォルフガングは翌日朝、ザルツブルク大聖堂において洗礼を受けています。洗礼名はヨハネス・クリュソストムス・ヴォルフガング・テオフィールスという長ったらしいもの。ヴォルフガングは10歳を過ぎた頃からアマデウスという名を使うようになりますが、これは洗礼名最後のテオフィールスのラテン名です。うまく育った上にどうやら凄まじい音楽的才能を持っているらしい息子です。父はきっと溺愛したでしょうね。後にベートーヴェンの父は息子をモーツアルトのように世に売り出そうとして息子の年を2歳サバを読むのですが、姉の練習帳にはレオポルトの手で「この曲をヴォルフガングは4歳の時に学んだ」と誇らしげに書いているのを見ると、後年レオポルトが完全無欠なステージパパとなるのは当然の成り行きでしょうね。

 末は博士か大臣か。世の親達は我が子にあらぬ夢を見るものでしょうが、その子が本物の天才だったら親はどうするんでしょうね。その点普通以下の子だった私は、それだけで親孝行だったのかな。これ、笑わないの。

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