

12月24日
1781年12月24日、モーツアルトは皇帝ヨーゼフ二世の御前において、当時著名なピアニストだったクレメンティとの腕比べを行っています。即興演奏の大家でもあった二人は、それぞれ自慢の技術を披露しあったのですが、その時クレメンティが弾いたソナタの主題は、10年後「魔笛」の序曲のアレグロの主題としてモーツアルトは転用しています。こういうのは盗作とは言いませんよ。他人の主題を用いて自作を書くのは、当時よくやられていた習慣でしたからね。何より、作品の出来は明らかにモーツアルトに軍配があがりますから、良く出来た方が勝ちみたいなものです。
この御前演奏にはマリーア・フェオドロヴナ大公夫人などのお歴々が出席し、ウィーンに出て間もないモーツアルトには、天才をアピールするまたとない機会でした。モーツアルトはこの年の春にコロレド大司教と決定的な決裂をし、8月にウィーンに出て来たばかり。天才を自負して止まないモーツアルトは、この大都市で皇帝直属の音楽家になる夢に溢れていた事でしょう。モーツアルトは以前から懇意にしていたウェーバー家のすぐそばに住みます。以前心を寄せていた姉のアロイジアには3年前に手ひどく振られ、妹のコンスタンツェと結婚するのですが、この時既にコンスタンツェに惹かれていたのかどうかは定かではありません。ウィーンに住んで間もなく、彼は父親に対してコンスタンツェに惹かれているという旨の手紙を書いていますが、ここに住んで初めて彼女と知り合ったので、以前から知っていた訳ではないと言い訳めいた事を書いています。て事はとうに知り合っていたと白状したようなものですね。でなければ失恋相手の近くに住みますか、普通。翌年彼は父の許しを待たずにコンスタンツェと結婚してしまいます。
さて話を戻して、この御前演奏の事を父に知らせる手紙には、皇帝ヨーゼフ二世は「殊の外慈悲深い態度で」自分と話をしたとあります。きっとモーツアルトはこれで宮廷の音楽家になれるのは確実だと思った事でしょう。しかしお世辞を真に受けて簡単に信じてしまうのはモーツアルトの悪い癖です。やれやれ。もう少し賢く謙虚に振る舞っていたならあるいはそうなったのでしょうか。でもそれが我らが愛するモーツアルトなんですよね。
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