

11月18日
1791年11月18日、モーツアルトは彼の最後の作品である「小フリーメーソン・カンタータ」K.623を、新しく落成した礼拝堂<ツア・ノイゲクレーンテン・ホフヌング>にて指揮しています。もちろんこれが彼の生涯最後の指揮でした。
このわずか2日後には彼は寝込んでしまい、翌月5日になったばかりの午前0時55分くらいに息を引き取ります。僕らモーツアルト好きには、幾度触れても胸の痛む彼の死の数日間ですが、皮肉なのは、12月になってハンガリーの貴族達から彼に1000フローリンもの名誉年金を贈りたいと申し出があったばかりか、アムステルダムからはもっと高額な年金の申し入れがあったと言います。ああ、神様、あなたはなんて無慈悲な事をなさるのか!と思ってしまいますが、きっともっと早くにお金が彼にもたらされても、ヴォルフガングの事ですからね、きっと遊興費へと消えていったんでしょうね。ちなみにこれらの年金は受け取った形跡がありません。
彼の指揮者姿をよく想像します。指揮法というものが存在すらしていなかった時代ですからね、きっと手で拍子を刻んでテンポを示す程度のものだったでしょう。映画「アマデウス」では、颯爽とオペラを指揮するヴォルフガングが登場しますが、あれは有り得ないでしょう。そもそも指揮者がどんな発展を遂げて来たのか、指揮者の私はとんと知りません。
それでも、礼装に身を包みお洒落なカツラをかぶり、得意げに頬を染めている彼の姿を想像するのは楽しいものです。ですがこの生涯最後の指揮姿は、病んで憔悴し、胸痛むものだったのでしょうね。このカンタータは演奏される事がまずありません(何せフリーメーソンて現存しますからね)。聴いてみたくて仕方ありませんが、その直前に完成された「魔笛」の珠玉の音楽で、この聴きたい欲求を紛らわすしかありませんね。
当時の指揮者はチェンバロを弾いていたはずなんですよ。図版では、ピットの両サイドにチェンバロが置かれています。どうやって指揮したんだろ。
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