Morzart Symphony Orchestra
モーツァルト・シンフォニー・オーケストラ

マエストロ・ペンの  
  ある日のモーツァルト (1)

     マエストロ・ペンの

 モーツアルトの生涯を追いかけていると、時折何をしていたのかの動向が分からない期間に出くわします。そのほとんどは故郷ザルツブルクにいて日々の宮廷業務に務めていた期間です。旅先ではありませんから家族への手紙もありません。晩年1791年に書いた現存する手紙で最も早いのは、4月13日のプフベルクへの借金申し込みのものです。そしてこの2月も、彼の動向がよく分からない月です。はっきりした日付が分かっているものを挙げると、いずれも作曲した作品の自分用の目録から分かるもので、以下の通りです。

2月5日  4つのメヌエットと4つのドイツ舞曲 K.601,602
      2つのコントルダンスK.603
2月12日 2つのメヌエットと2つのドイツ舞曲 K.604,605
2月28日 コントルダンス「婦人達の勝利」、6つのレントラー K.607
      608

 4年前に任命された「王室宮廷作曲家」としての業務の大半は、こうした貴人達の余暇の為のダンス音楽の作曲でした。きっとモーツアルトにとっては張り合いの無い、退屈な仕事だったに違いありませんが、そんな作品の中にも愛すべき作品は生まれます。K.605のドイツ舞曲は「そり滑り」の副題を持ち、そのフィナーレには音程を持った5個の鈴が使われる可愛らしい作品です。何しろこの作品の為だけの「鈴5点セット」が販売されているくらいですからね。そんな作品は他に存在しないでしょう。「婦人達の勝利」という勇ましい題名は、同名のオペラ・ブッファ(P.アンフォッシ作曲)の主題を用いている事から来ています。他人の音楽の編曲は当時日常茶飯事でした。

 経済的な困窮。名声に伴わない境遇。そんな中で業務の作曲を淡々としてこなしている姿が目に浮かびます。一人机に向かい作曲のペンを走らせるモーツアルト。フェルメールの手紙の絵画のような風景だったでしょうか。不思議とそんな風景には家族の姿が浮かびません。どんなに暖かな団らんの中にあっても、モーツアルトはずっと孤独だったような気がします。

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