


2012年というとモーツアルトの没後211年ですね。今月号から1年間、晩年のモーツアルトを月毎に追いかけてみようかな、と思いたちました。まずは晩年直前のモーツアルトの動向から始めましょう。
前年9月23日、モーツアルトはドイツ方面への旅行へ旅立ちます。彼の最後の旅はまず、レオポルト2世の戴冠式の為にフランクフルト・アム・マインを目指します。リンツ、ニュルンベルク、ヴュルツブルクと辿り5日後の28日にフランクフルトに到着。実は彼は式典に呼ばれた訳ではなく、状況打破の為に自腹を切って出かけた旅でした。既に借金苦に喘ぐモーツアルトですから、旅の途中でもヴィーンの不動産全てを担保に1000フローリンもの借金を重ねています。「名誉という側では素晴らしかったが、金に関しては貧弱な結果」と妻に書き送ったこの旅は、その後マインツ、マンハイム、アウグスブルクと過ぎ10月29日にはミュンヘンに到着します。この旅の途中ロンドンからの招待(オペラ2曲)がヴィーンに届いていますが、彼はもちろん返事をしていません。もとよりロンドンに行く旅費はもう工面できなかったでしょう。ミュンヘンからヴィーンに帰り着いたのは11月10日頃。翌月ハイドンがロンドンへと旅立ちます。
いよいよモーツアルト最後の年がこうして始まりますが、1月から3月までは作曲に明け暮れていたらしく、目立った活動の記録も、手紙も残っていません。生活費を稼ぐ為の幾つもの舞曲(王宮の舞踏会のためのもので、「そりすべり」の入ったK.605も含まれます)に先立って、1月5日の日付で最後のクラヴィーア協奏曲となる変ロ長調(K.595)が書かれています。前年は作曲家としては実りある年とは言いがたかったモーツアルトは、晩年この名作を皮切りに後世に残る作品を書き続ける事になります。1月中旬には3曲のリート「春への憧れ」「春の初めに」「子供の遊び」を書きます。この3曲はこの年の春にヴィーンで刊行された「子供と友達の為のクラヴィーア伴奏付き歌曲集」の中の春の部に載せられます。いつまでも純粋で子供じみた所のあったモーツアルトに相応しい内容だと言えます。
まさか年内に自分の死が訪れようとは思いもしなかった事でしょう。生活苦の重圧は、彼の音楽をより清明な高見へと押し上げていくようです。

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